Archive for March 2010

「科学の未来」フリーマン・ダイソン

物理学者フリーマン・ダイソンが、科学と技術に関して彼の持つ透徹した深い洞察力に基づき、「物語」「科学」「技術」「進化」「倫理」の五つの主題のもと、過去の歴史から説き起こして来るべき人類の未来を描きます。

特に、第4章の「進化」の章において、10年後、100年後、1000年後、1万年後、10万年後、100万年後、そしてそれ以降の未来において人類がたどるであろう予想図に関して語る場面は、凡百のSFを読むよりも遙かにエキサイティングでした。

原著の初出は1997年ですから、これらの予想の中にはすでに実現されている技術(ヒトゲノム解読等)もありますが、決してその古さを感じさせない点も本書の魅力の一つでしょう。

ただし、多くの場面で翻訳者が科学と技術とを混同している点には少々疑問を感じます。科学と技術は渾然一体となって発展してきたことは事実ですが、だからといって著者は決して科学と技術とを混同していないと思います。そういう意味でも原著「Imagined Worlds“>Imagined Worlds」を直接読むのが良いかもしれません(原著の英文は平易です)。

また、科学自体は、宇宙の真理を極めようとする人類の文化的活動であると思っている私にとって、科学が悪を産み出すこともあれば善にもなりうるという著者の主張には、完全に賛同することはできません。

このように、諸手を挙げて賛同できるわけではありませんが、人類の第一級の知性が示す未来を共有できたことは非常に有意義でした。

「理科系の作文技術」木下 是雄

正確、的確であり、かつ読みやすい文章を書くためのエッセンスが詰まっています。

水が低きに流れるがごとく自然な論理の流れにしたがって文章を構築していくことの重要性が説かれているのですが、それは、ただ単に文章を書くという行為だけに留まりません。本質は、いかにして相手に自分の思うところを的確に伝えるかという点にあるのです。それゆえ、本書は単なる作文技術の本を超越しています。理科系と銘打っていますが、まさに万人向けです。

1981年の発行ですが、本書の価値は今でも古びていません。本物は永続する良い例です。まさに永遠の名著です。

「世界は分けてもわからない」福岡 伸一

生物学者である著者は主張します。「生命現象の本質は、物質的な基盤にあるのではなく、そこでやりとりされるエネルギーと情報がもらたす効果にこそある」「生命現象は可塑的であり、絶え間のない動的平衡にある」と。そして、「世界は分けないことにはわからない。しかし分けてもほんとうにわかったことにはならない」と。著者は、ここに現代の生物学・医学の成功と限界をみます。

本書はとある絵の逸話から話が始まります。それは、15世紀後半のイタリアの画家ヴィットーレ・カルパッチョの手になる二つの絵です。イタリアとアメリカの美術館で別々に所蔵されているその二つの絵は、もともとは一つの絵を二つに切り離した作品であり、片方の絵のみをどれだけ熟視したとしても、他方の絵の内容や構図を想像するは不可能なのです。この話から、部分をどれだけ詳細にしらべても全体はわからない、つまり、「世界は分けてもわからない」という本書のタイトルに結びつく主張がなされます。

この主題を要として、「視線を感じるということ」「コンビニのサンドイッチが長持ちする理由」「ES細胞とガン細胞」「膵臓の働き」「空耳、空目(そらめ)」などの生命現象の具体例において、著者の思うところが述べられます。

さて、本書に読み終えた後に、二点、覚えておきたい箇所がありました。

まず「消化」に関してです。消化のほんとうの意義は、単に食物を分解して吸収しやすい形にすることにではなく、「前の持ち主の情報を解体すること」にあります。食物タンパクは、もともと他の生物体の一部であったので、元の持ち主固有の情報がアミノ酸配列に記録されているために、取り込んださいに異物として拒絶されないようにするには、それを元の持ち主固有の情報をもたないアミノ酸にまで分解する必要があるのです。これが本当の「消化」の意義なのですね。

第二に「食品保存料」に関してです。食品保存料として一般に使われているソルビン酸は水溶性であり、ヒトに対するその毒性は同じ哺乳類であるラットなどと同等であると考えられます。これら二種類の動物における代謝や解毒の仕組みがほぼ同じであるからです。しかし、人間の消化管には約120兆から180兆個もの腸内細菌が共生していると推定されています。細菌に対する毒性を持つソルビン酸などの食品保存料が、たとえラットでは毒性が無い、人間の細胞には直性的には毒性が無いからと言って、腸内細菌をも含む人間総体として捉えた場合にも毒性が無いかどうかは未知なのです。そういう意味では、できる限り食品保存料の摂取は減らすのが賢明でしょう。

以上述べた箇所も含めて、本書の前半の三分の二は主題に沿った話題で占められていますが、後半の三分の一では、本書の主題からは少し離れた話題に話しがおよびます。それは、生体におけるエネルギー代謝の解明で一家を成した学者エフレイム・ラッカーと、「天才」学生マーク・スペクターの共同研究における逸話です。ここでは、研究における熾烈な競争や倫理問題が絡んできており、確かに一気呵成に読ませるのですが、いかんせん本書の主題とは直接は関係しませんので、別な著書に収めた方がよかったように思います。

さて、現在の人類は、いまだに生命を全体として理解するまでには至っていません。もちろんシステムズ生物学などの野心的な試みはなされていますが、本当に生命を理解するにはいくつもの大きな壁を乗り越える必要があります。それゆえ、世界は分けてもわからないとわかってはいても、分けるしかないのです。著者もその「矛盾」を重々承知しながら日々の研究を行っているのでしょう。

同じ著者による「生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)」もお勧めです。

「大往生の条件」色平 哲郎

本書のタイトルの「大往生の条件」からすると、一般人が「大往生」するにはどうすれば良いかを説いていると思えますが、実際には一般人向けと言うよりは、医学・医療の世界を目指している若者に向けた書と捉えた方がより良く本書の内容を表していると思います。

感染症などの急性疾患に対しては十把一絡げ的な対処法によって絶大な威力を発揮した西洋医療も、ガン、心疾患、糖尿病などのいわば慢性疾患に対しては画一的な治療法では完治が望めない場合が多々あると言う現実に直面しています。

このような現実を目の当たりにしてきた著者は、長年、僻地医療に携わってきた経験を基に、『人間が人間として人間の世話をする「ケア」である医療』と言う医療の原点に立ち返ることにより、今後の医療の在り方を問いただしています。

その上で、「大往生=畳のうえで死ぬ」ための条件として
1)大きな病気をしないこと(一病息災)、
2)子や孫、隣人から尊敬されるお年寄りであること、
3)年寄りを尊敬する、よい子や孫を育てていること、
4)在宅で看取れる人的、物的環境が整っていること、
の4つを挙げています。1は日頃から健康に留意してればある程度までは可能ですが、個人の力ではどうしようも無い部分もあります。2と3は個人の心がけ次第です。4に関しては個人の問題と言うよりも社会全体の問題と言えるでしょう。

医学・医療の世界を目指している若者に向けた書と述べましたが、もちろん一般人にとっても、大往生を遂げるための日頃からの心構えや、もし自分がなんらかの重篤な病気に罹った場合に、いかに医師に対して自分の意志を伝え、供に治療に取り組み、かつ周囲の人と接していくのか、に関する心の準備をしておく一助となるでしょう。

「天皇論」小林 よしのり

日本人としてのアイデンティティの確立に必ずや一役買うであろう良書です。

漫画と言う手段を通して、「天皇」「皇室」「君が代」「神道」に関して分かりやすくかつ詳細に述べています。恥ずかしながら本書を読んで初めて「天皇」に対する自分の認識が曖昧であったかを思い知らされました。

著者が言わんとすることをまとめると、天皇とは、
1)国内的には、数千年の長きにわたって民間に信仰されてきた「神道」、日本人の精神の根幹を成している「神道」の祭祀を執り行うことを通して、国土と民の安寧を祈る「祭祀王」であり、
2)対外的には日本という立憲君主国家の国事を執り行う「元首」なのです。

また、日本の国歌である「君が代」は、『古今和歌集』に収められた「わが君は 千代にましませ さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで」という長寿を祈る「賀歌(がのうた)」にその源を発し、その後千年以上の長きにわたって庶民によって歌い継がれてきたと言う事実を初めて知りました。さらに、「君」は天皇のような特定の個人を指すのではなく、幅広く自分にとって敬愛すべき相手を意味するのです。つまり、「君が代」は天皇賛歌ではなく、あくまでも敬愛すべき人を称える歌なのですね。

著者が本書で述べていることは、本来なら初等教育において全生徒に対して教えるべき内容でしょう。

ただし、著者自身も本書の中で権威に盲目的に従うことの危険性を説いているように、本書の内容を鵜呑みにするのでなく、批判的に読む事によって、より良く「天皇」を理解できるようになると思います。

小学校高学年、あるいは中学校の副読本としても有用なのではないでしょうか。