『バブルの興亡』徳川 家広

一言で言えば、あまりに表層的なバブル論です。

過去のバブルを検証し将来の世界経済に警笛を鳴らすと言う意図で書かれたということで期待して読み始めたのですが、残念ながらその期待は見事に打ち壊されてしまいました。

本書で検証されるバブルは、
(1)1930年代の大不況に至るジャズエイジ・バブル
(2)1980年代後半の日本の不動産バブル
(3)1990年代後半のITバブル
(4)2000年代のサブプライム・バブル
の4つのバブルです。それらの検証も特に新しい視点を与えてくれるわけでもなく、結局これまで何度となく繰り返し語られてきたことを超えるものはありませんでした。あえて唯一救いがあるとすれば、これら4つのバブルを今一度振り返ってみる良い機会になると言う点だけでしょうか。

結局、これらのバブルは、マネーゲームに憂き身を費やす一部の経済エリートなどの輩が生み出したわけであり、まじめにこつこつ働いてきた過半数の人たちはその犠牲になっただけです。

また、未来予想として「銀行は大量に破綻し、企業は連鎖倒産し、日本の不動産を中国人やロシア人が買い叩く。失業率は30%を超え、売春が激増し、凶悪犯罪や感染症の流行が日常茶飯事となる」というような、いたずらに危機感を煽るような表現を使うことによって人の目を引こうというあざとい手段にも辟易します。

これをフィクションとして読めばそれなりに面白いかもしれませんが、何せ著者は大まじめに危機感を煽ります。困ったものです。

経済学というものがもたらす罪悪の証左として本書を捉えれば、かろうじて本書にも最低限の存在価値はあるかもしれませんが、結局はそれだけです。

著者は徳川将軍直系19代目ということですが、所詮は恵まれた立場の人間であり、結局その立場からの虚学的著作にすぎません。

人間の経済活動というのは、個人的価値観、社会的価値観、個人心理、社会的集団心理、技術発達状況、政治体制、多国間関係、世界紛争状況、資源供給体制、工業製品供給体制、農産物供給体制、諸サービス浸透状況、気候・天変地異などの非常に数多くの要素に複雑に依存しているのですが、著者はほぼマネーフローや資産価値評価(とせいぜい世界の紛争状況)にのみに着目した単純かつ表層的な議論に終始しています。本来はこのうえもなく複雑な人間の経済活動を、このような極度に単純化した観点から論じても、決して未来(遠い未来はいうまでもなく、近未来ですら)の経済状況を予測することなどとうてい不可能なことです。

しかし、これは著者に限ったことではありません。ほとんどの経済学者および経済を論じる者に共通している致命的問題です。過去に数十名の「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」(日本のマスコミはこれを「ノーベル経済学賞」と称し、他のノーベル賞と同列に扱っていますが、これはとんでもないことです。ノーベル賞の生みの親であるノーベルは草葉の陰でさぞや憤っていることでしょう)受賞者を排出しているアメリカが、世界一の貧富の差を生み出し、いまだに経済状態が改善しない事実をみれば、経済学というものがいかにいいかげんなものかは一目瞭然です。

経済を論じる者は、今一度謙虚に自らを振り返るべきでしょう。

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