Archive for the ‘科学’ Category.

日本酒を科学せよ

2013年の米国でのワインの総売上高は$36.3 billion(約37兆円)でした(Ref: http://www.wine-searcher.com/m/2014/04/u-s-wine-sales-rise-for-20th-consecutive-year)。1999年から倍増しています。一方、年度は違いますが2010年度の日本酒の総売上高はなんとその100分の1以下の3160億円(Ref: 東京商工リサーチのデータ:http://www.tsr-net.co.jp/news/analysis_before/2012/1216330_2004.html)。 その上、日本酒の総売上高は減少する一方。

純粋に日本酒とワインを飲み比べた場合、決して日本酒はワインに劣っていません。それにも関わらず日本酒はビジネスとして全く振るいません。色々な理由があると思いますが、私が思うに日本酒産業界が醸造技術の科学的研究を怠ってきたことが衰退の一番大きな理由ではないでしょうか。例えば、米国の場合、US Davis に Department of Viticulture and Enology (concerning the scientific study of grape-growing and winemaking) があり、ブドウの生育やワイン醸造の科学研究が熱心に行われています。そこにはあの有名なワイン生産者であるRobert Mondaviの寄付に基づいて設立されたRobert Mondavi Institute for Wine and Food Scienceもあります。残念ながら日本の大学にはこの規模の日本酒研究施設はありません。

日本よ、日本酒ビジネスの成功の基盤となる日本酒の科学研究をもっと押し進めよ。そして、それは学者の自己満足で終ってはいけない。アメリカのように儲かる研究を遂行すべきである。日本酒はワインに匹敵する価値を持っているのだから。

ダークマター探索

ヒッグス粒子を発見した欧州のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)で、ダークマター探索が始まります。宇宙の大半を占めると考えられているにも関わらず、素粒子の標準理論の枠外にある謎のダークマターを発見することは非常に困難だと思いますが、科学者達の勇敢な戦いを応援しましょう。
The search for dark matter at the LHC

若返りへの道

若い人の血液を輸血することによって老人が若返ることができるか?あくまでもマウスの実験ですが、少なくとも認知機能に関しては若返りが可能になるかもしれません。Crebというタンパクが鍵を握っているようです。

Young blood reverses age-related impairments in cognitive function and synaptic plasticity in mice
Nature Medicine (2014) doi:10.1038/nm.3569
http://www.nature.com/nm/journal/vaop/ncurrent/full/nm.3569.html

『ミトコンドリアが進化を決めた』ニック・レーン

本書では、ミトコンドリアというミクロン程度の大きさしかない細胞内の小器官を主題に、生命の営み、進化、性、老化、死に関して非常に広範囲にわたる議論が展開されます。一般向けですが、読み通すには高校レベルの生物学の基礎知識と、その内容の膨大さからかなりの集中力を必要とします。

私が高校時代に生物学を学んだ当時(1970年代後半)の教科書では、ミトコンドリアとは「多細胞生物の細胞内にあり、酸素を使って糖などの栄養物を燃やしエネルギーを生み出す」小器官であると教えられただけでした。

その後、約30年間の多くの研究の結果、ミトコンドリアが実はエネルギーを生み出すと言う役割以外にも、有性生殖、母系遺伝、細胞の自殺、生体の老化、死、そして生命の進化にいたるまでの多くの生命活動領域において非常に重要な関係を持っていることが判明しつつあります。それらの新知見が「著者の信念」と言葉を通して微に入り細を穿って紹介されています。ミトコンドリアがこんなにも多くの生命活動に影響を及ぼしていたとは驚きです。

ここで本書に従ってミトコンドリアの働き、起源、性質を簡単にまとめてみます(もちろん網羅的ではありません)。

1. 一人の人間には全身で約1京個(1億の一万倍)のミトコンドリアが存在し、全体重の10%を占める
2. 酸素を使って糖などの栄養物を燃やしエネルギーを生み出す
3. ミトコンドリア自身が独自の遺伝子を持つ
4. ミトコンドリアは母親のみから受け継がれる
5. ミトコンドリアの祖先は細菌で、共生体として真核生物の細胞に棲みついた
6. ミトコンドリアの存在が生命の複雑さを生んだ
7. ミトコンドリアの存在が男女の性を生んだ
8. ミトコンドリアが細胞のプログラム死を司っている
9. ミトコンドリアが老化を左右する
10. 生命の進化においてミトコンドリアが重要な役割を果たした

以上、本書を読んで非常に多くのことを学びましたし、知的好奇心を大いにかき立てられました。

しかしながら、著者の意見のすべてに賛同できるわけではありません。

上で私は「著者の信念」と書きましたが、ミトコンドリアの起源、働き、役割に関してここで著者があたかも証明された事実のように説明していることの中には、まだまだ仮説の範疇を超えていない事柄も多くあります。

もちろん、多細胞生物にとってミトコンドリアが非常に重要であることは確かですが、だからといって著者が言うように「ミトコンドリアが世界を支配している」と断言するのは言い過ぎだと思います。この宇宙において、生命ほど複雑にして精妙な存在は今のところ他には見あたりません。その生命は、ただ単にミトコンドリアだけではなく、遺伝子、細胞、臓器、種々の分子、タンパク、さらには遺伝子には直接プログラムされていない糖鎖、酸素、水素、炭素、窒素、それ以外の微量元素、およびそれらの間の想像を絶する程の複雑にして完璧に調和のとれた相互作用の結果、この宇宙に生存しているのです。とうていミトコンドリアでけでは世界を支配できませんし、説明もできません。

さらに著者の主張の中で私がもっとも賛同できないのは、エピローグの456ページで著者が述べている次の箇所です。「本書で見てきた物語は、(中略)地球上に限らず宇宙のどこにでも当てはまる、生命そのものの物語なのである」には、明らかに論理の飛躍があります。そもそも地球外の生命の存在すらまだ確認されていないのにどうして「宇宙のどこにでも当てはまる」と言えるのでしょうか?われわれが知っている生物学はあくまでも「地球生物学」です。

苦言も申しましたが総体的には非常に優れた書ですので、生命に興味のある人すべてに読んでもらいたいミトコンドリアと生命の一大叙事詩です。

『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル ブライソン

私がこれまでの人生で出会った書物の中でも最高峰の一冊です。今ここに生きていることの意義をここまで強烈に再認識させてくれる書物にはそうそう出会うことはないでしょう。それほどの感銘を受けました。すばらしいの一言です。

本書は、索引・参考文献も含めれば700ページにも達しようかという大著です。そしてその内容も広範かつ深遠です。物理学、化学、生物学、医学、天文学、惑星科学、地質学、考古学など、およそ科学と呼べる広範な学術分野を網羅的に俯瞰するとともに、宇宙の歴史、地球の歴史、そして地球上での生命誕生から知性を持った人類が生まれるまでの生命の歴史の解説に対して、著者の筆はさえわたります。各分野の黎明期から発展期、そして現在に至るまでの出来事、そしてそれらを切り開いた先人の苦闘の歴史を、各人の人格や背景にまで踏み込んで解説しています。中には少しばかり冗長な箇所もありますが、そのような小さな欠点など忘れさせてくれるくらいの力を持った著書です。

著者が最後に述べているように、地球上のすべての生命は、それこそ無限とも思える途方もない幸運の積み重ねの結果、今ここに生きているのです。そもそも、なんらかの生命体としてこの宇宙に生まれてくることすら容易でない状況において、ここまでの知性を持つに至った人類はさらに幸運なのです。それに加えて、人類は生を享受し、さまざまな方法でその生をいっそう豊かにできるという比類のない能力をも得ることができたのです。この事実を人間はひとりひとり心に刻み込むべきでしょう。そうすれば、この世界は必ずやより良い世界になると、私は信じています。

参考文献も非常に充実しており、さらに詳しく学びたい人の道しるべにもなります。

翻訳も非常によくこなれており、訳者の力量がうかがえます。

科学とは

「科学」とは、「知的生命体が、宇宙を網羅的に理解しようとする知的活動」です。それ故、「科学」は地球上の人類に限定されるものではなく、この全宇宙に存在するであろうあらゆる知的生命体が宇宙を理解しようとする知的活動のすべてに当てはまる全宇宙に普遍的なものです。

この「科学」という営みを行う「知的生命体」は、奇跡のような偶然に偶然が重なってこの宇宙に生まれました。その一つがたまたまこの地球上に生まれた人類です。

その森厳なる事実を前に、私はなんとも厳かな心持ちになります。

そして、「技術」とは、知的生命体が「宇宙」とやりとりする際のインターフェースであり、科学的知見を基に知的生命体によって構築されたものです。このインターフェース無くして知的生命体は「宇宙」とやりとりはできません。

さて、このように「科学」と「技術」の定義をはっきりさせれば知的生命体にとって「科学」と「技術」とは全く別次元の体系であることがわかります、(もちろん「科学」と「技術」とは糾える縄の如しの関係にあるのですが)。この理解に則れば、「科学」と「技術」の両者を表す意味での「科学技術」などと言うことはできません。「科学技術」という表現を使うならそれは「科学に基づいた技術」という意味でのみ使い得るのであって、「科学と技術」を意味するために使うことはできません。しかし、この「科学に基づいた技術」は私の定義からすると同語反復で冗長ですので、「技術」と表現するだけで十分です。

しかし、残念ながら日本では「科学」と「技術」を一絡げ(ひとからげ)にした「科学技術」という表現がまかり通っています。そして、本来、知的生命体の純粋な知的活動である「科学」が、「技術」と一絡げにされ悪役にされることを多くの場面で目の当たりにします。私はそれがどうしても許せません。それ故、私は「科学」と「技術」を峻別し、「科学」と「技術」に言及する際には「科学技術」ではなく「科学と技術」という表現を使うことを提言したい。

「科学の未来」フリーマン・ダイソン

物理学者フリーマン・ダイソンが、科学と技術に関して彼の持つ透徹した深い洞察力に基づき、「物語」「科学」「技術」「進化」「倫理」の五つの主題のもと、過去の歴史から説き起こして来るべき人類の未来を描きます。

特に、第4章の「進化」の章において、10年後、100年後、1000年後、1万年後、10万年後、100万年後、そしてそれ以降の未来において人類がたどるであろう予想図に関して語る場面は、凡百のSFを読むよりも遙かにエキサイティングでした。

原著の初出は1997年ですから、これらの予想の中にはすでに実現されている技術(ヒトゲノム解読等)もありますが、決してその古さを感じさせない点も本書の魅力の一つでしょう。

ただし、多くの場面で翻訳者が科学と技術とを混同している点には少々疑問を感じます。科学と技術は渾然一体となって発展してきたことは事実ですが、だからといって著者は決して科学と技術とを混同していないと思います。そういう意味でも原著「Imagined Worlds“>Imagined Worlds」を直接読むのが良いかもしれません(原著の英文は平易です)。

また、科学自体は、宇宙の真理を極めようとする人類の文化的活動であると思っている私にとって、科学が悪を産み出すこともあれば善にもなりうるという著者の主張には、完全に賛同することはできません。

このように、諸手を挙げて賛同できるわけではありませんが、人類の第一級の知性が示す未来を共有できたことは非常に有意義でした。

「理科系の作文技術」木下 是雄

正確、的確であり、かつ読みやすい文章を書くためのエッセンスが詰まっています。

水が低きに流れるがごとく自然な論理の流れにしたがって文章を構築していくことの重要性が説かれているのですが、それは、ただ単に文章を書くという行為だけに留まりません。本質は、いかにして相手に自分の思うところを的確に伝えるかという点にあるのです。それゆえ、本書は単なる作文技術の本を超越しています。理科系と銘打っていますが、まさに万人向けです。

1981年の発行ですが、本書の価値は今でも古びていません。本物は永続する良い例です。まさに永遠の名著です。

「世界は分けてもわからない」福岡 伸一

生物学者である著者は主張します。「生命現象の本質は、物質的な基盤にあるのではなく、そこでやりとりされるエネルギーと情報がもらたす効果にこそある」「生命現象は可塑的であり、絶え間のない動的平衡にある」と。そして、「世界は分けないことにはわからない。しかし分けてもほんとうにわかったことにはならない」と。著者は、ここに現代の生物学・医学の成功と限界をみます。

本書はとある絵の逸話から話が始まります。それは、15世紀後半のイタリアの画家ヴィットーレ・カルパッチョの手になる二つの絵です。イタリアとアメリカの美術館で別々に所蔵されているその二つの絵は、もともとは一つの絵を二つに切り離した作品であり、片方の絵のみをどれだけ熟視したとしても、他方の絵の内容や構図を想像するは不可能なのです。この話から、部分をどれだけ詳細にしらべても全体はわからない、つまり、「世界は分けてもわからない」という本書のタイトルに結びつく主張がなされます。

この主題を要として、「視線を感じるということ」「コンビニのサンドイッチが長持ちする理由」「ES細胞とガン細胞」「膵臓の働き」「空耳、空目(そらめ)」などの生命現象の具体例において、著者の思うところが述べられます。

さて、本書に読み終えた後に、二点、覚えておきたい箇所がありました。

まず「消化」に関してです。消化のほんとうの意義は、単に食物を分解して吸収しやすい形にすることにではなく、「前の持ち主の情報を解体すること」にあります。食物タンパクは、もともと他の生物体の一部であったので、元の持ち主固有の情報がアミノ酸配列に記録されているために、取り込んださいに異物として拒絶されないようにするには、それを元の持ち主固有の情報をもたないアミノ酸にまで分解する必要があるのです。これが本当の「消化」の意義なのですね。

第二に「食品保存料」に関してです。食品保存料として一般に使われているソルビン酸は水溶性であり、ヒトに対するその毒性は同じ哺乳類であるラットなどと同等であると考えられます。これら二種類の動物における代謝や解毒の仕組みがほぼ同じであるからです。しかし、人間の消化管には約120兆から180兆個もの腸内細菌が共生していると推定されています。細菌に対する毒性を持つソルビン酸などの食品保存料が、たとえラットでは毒性が無い、人間の細胞には直性的には毒性が無いからと言って、腸内細菌をも含む人間総体として捉えた場合にも毒性が無いかどうかは未知なのです。そういう意味では、できる限り食品保存料の摂取は減らすのが賢明でしょう。

以上述べた箇所も含めて、本書の前半の三分の二は主題に沿った話題で占められていますが、後半の三分の一では、本書の主題からは少し離れた話題に話しがおよびます。それは、生体におけるエネルギー代謝の解明で一家を成した学者エフレイム・ラッカーと、「天才」学生マーク・スペクターの共同研究における逸話です。ここでは、研究における熾烈な競争や倫理問題が絡んできており、確かに一気呵成に読ませるのですが、いかんせん本書の主題とは直接は関係しませんので、別な著書に収めた方がよかったように思います。

さて、現在の人類は、いまだに生命を全体として理解するまでには至っていません。もちろんシステムズ生物学などの野心的な試みはなされていますが、本当に生命を理解するにはいくつもの大きな壁を乗り越える必要があります。それゆえ、世界は分けてもわからないとわかってはいても、分けるしかないのです。著者もその「矛盾」を重々承知しながら日々の研究を行っているのでしょう。

同じ著者による「生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)」もお勧めです。

本田宗一郎の言葉

2009年12月22日付けの産経新聞に掲載された『次代への名言』の中で、以下のような本田宗一郎の言葉が紹介されています。

「技術そのものより、思想が大切だ。思想を具現化するための手段として技術があり、また、よき技術のないところからは、よき思想も生まれない」

ここで直ぐに思いついたことが、「思想」を「科学」に置きかえることです。

「技術そのものより、科学が大切だ。科学を具現化するための手段として技術があり、また、よき技術のないところからは、よき科学も生まれない」

良い言葉です。

ちなみに、カリフォルニア州在住の私は日本の新聞を手にとって読む事は適いませんが、iPhoneのおかげで産経新聞を読む事ができます。