Archive for the ‘書評’ Category.

「大往生の条件」色平 哲郎

本書のタイトルの「大往生の条件」からすると、一般人が「大往生」するにはどうすれば良いかを説いていると思えますが、実際には一般人向けと言うよりは、医学・医療の世界を目指している若者に向けた書と捉えた方がより良く本書の内容を表していると思います。

感染症などの急性疾患に対しては十把一絡げ的な対処法によって絶大な威力を発揮した西洋医療も、ガン、心疾患、糖尿病などのいわば慢性疾患に対しては画一的な治療法では完治が望めない場合が多々あると言う現実に直面しています。

このような現実を目の当たりにしてきた著者は、長年、僻地医療に携わってきた経験を基に、『人間が人間として人間の世話をする「ケア」である医療』と言う医療の原点に立ち返ることにより、今後の医療の在り方を問いただしています。

その上で、「大往生=畳のうえで死ぬ」ための条件として
1)大きな病気をしないこと(一病息災)、
2)子や孫、隣人から尊敬されるお年寄りであること、
3)年寄りを尊敬する、よい子や孫を育てていること、
4)在宅で看取れる人的、物的環境が整っていること、
の4つを挙げています。1は日頃から健康に留意してればある程度までは可能ですが、個人の力ではどうしようも無い部分もあります。2と3は個人の心がけ次第です。4に関しては個人の問題と言うよりも社会全体の問題と言えるでしょう。

医学・医療の世界を目指している若者に向けた書と述べましたが、もちろん一般人にとっても、大往生を遂げるための日頃からの心構えや、もし自分がなんらかの重篤な病気に罹った場合に、いかに医師に対して自分の意志を伝え、供に治療に取り組み、かつ周囲の人と接していくのか、に関する心の準備をしておく一助となるでしょう。

「天皇論」小林 よしのり

日本人としてのアイデンティティの確立に必ずや一役買うであろう良書です。

漫画と言う手段を通して、「天皇」「皇室」「君が代」「神道」に関して分かりやすくかつ詳細に述べています。恥ずかしながら本書を読んで初めて「天皇」に対する自分の認識が曖昧であったかを思い知らされました。

著者が言わんとすることをまとめると、天皇とは、
1)国内的には、数千年の長きにわたって民間に信仰されてきた「神道」、日本人の精神の根幹を成している「神道」の祭祀を執り行うことを通して、国土と民の安寧を祈る「祭祀王」であり、
2)対外的には日本という立憲君主国家の国事を執り行う「元首」なのです。

また、日本の国歌である「君が代」は、『古今和歌集』に収められた「わが君は 千代にましませ さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで」という長寿を祈る「賀歌(がのうた)」にその源を発し、その後千年以上の長きにわたって庶民によって歌い継がれてきたと言う事実を初めて知りました。さらに、「君」は天皇のような特定の個人を指すのではなく、幅広く自分にとって敬愛すべき相手を意味するのです。つまり、「君が代」は天皇賛歌ではなく、あくまでも敬愛すべき人を称える歌なのですね。

著者が本書で述べていることは、本来なら初等教育において全生徒に対して教えるべき内容でしょう。

ただし、著者自身も本書の中で権威に盲目的に従うことの危険性を説いているように、本書の内容を鵜呑みにするのでなく、批判的に読む事によって、より良く「天皇」を理解できるようになると思います。

小学校高学年、あるいは中学校の副読本としても有用なのではないでしょうか。

「日本人の英語」マーク ピーターセン

本書は、著者が1980年にフルブライト留学生として初めて来日し、その6年後の1986年から2年間に渡って本書の内容を書きつづった連載を新書にまとめたものです。日本の大学で日本文学を学びつつ、多くの日本人理系研究者の書いた英文を添削してきた経験に基づき著された本書は、英語を日常的に書くことを生業としている日本人にとってのまさに座右の書と言っても過言ではないでしょう。

私自身、研究者として20年以上前に渡米して以来、日常的なメモに始まり、企画書、報告書、論文、学会発表、特許明細書、翻訳等々に関連して日常的に英語を使ってきましたが、このたび本書に巡り会ったことにより、今更ながらに蒙を啓かれました。そこには英語を書く際に日本人が陥りやすい落とし穴が見事なまでに明確に指摘されています。

まず最初の六つの章で説明される冠詞、名詞、名詞の複数形等(またそれは、日本人が英語を書く際にいつになっても悩む冠詞の使い方なのですが)に関する部分では、名詞に冠詞を付けるのではなく、まず冠詞ありきで、その後に名詞が続くと言うとらえ方が勧められています。文脈において「それぞれの名詞が、a、the、無冠詞、単数、複数のどの意味的カテゴリーに入るか」を常に確認すると言う習慣をつけるべし、なのです。

本書の前半部分は、実は多くの文法書に書かれている事ではあるのですが、成人してから中高での文法書を読み直したことなど一度もない私にとっては、まさに再教育を受けた感です。このように前半部分から学ぶことも多いのですが、本書の真価が発揮されるのは、後半の関係詞、先行詞と関係節、副詞と論理構造、接続詞に関する部分でしょう。

良い例が、「特に・とりわけ」と言う文句で始まる日本文に対して、”Especially, …” と訳してしまう間違いです。私も以前この間違いを犯して英語のネイティブスピーカーに直されたことがあります。それは、「”Especially, …” には、コンマで後に続く文から仕切られた、自立した「句」として働く慣用はない」からです。

また、”A lyrics of that song was written by a word processor, whose appeal is depending on clever rhyming and puns mainly.”と言う問題だらけの英文が、順を追って添削され、最終的に”A word processor was used to write that song’s lyrics, whose appeal would seem to lie mainly in their clever rhyming and puns.”に書き直される過程は見事です。

別の例として、日本人が書いた英語論文で見かける “The following results of this experiment were obtained: ….” と言う表現が取り上げられています。英語ネイティブスピーカーからすると、この受動態は非常に虚弱な感じを受けるので、 “We obtain the following results in this experiment: ….” あるいは “This experiment yielded the following results: …” の様に自信を持って能動態にすべしと勧められています。確かに、研究者ならば自分の研究成果を発表する際に、胸を張って後者の様に表現したいものです。

さらに別の例として、論文のアブストラクト(要約)では、特定の個人や組織に関わりのないように書く習慣があるので、例えば “We discovered a virus believed to be responsible for a disease similar to AIDS in cats.” を、 “We” と言う主語を使わないで表現する “Discovered is a virus believed to be responsible for a disease similar to AIDS in cats.” が勧められています。ただし、私は必ずしもこの主張には賛同しません。逆に、どうどうと”We …”と表現すべきだと思います。

そして圧巻は、最後の章で紹介される、志賀直哉の「城の崎にて」の一節にある「風もなく [小川の] 流れのほかはすべて静寂の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラとせわしなく動くのが見えた」を “There was no wind, and except for the flowing stream, all lay in stillness, in the midst of which that single leaf alone kept up its busy fluttering, on and on.” と訳す箇所です。このような英文が書けるようになりたいものです。そのためには、結局は英語を英語として考えるしかないのです。日本語をその字面のまま英訳するのでは無く、まず日本語の文章が言わんとする状況を視覚的・感覚的・論理的に捉え、それを英語で表現する、という事を身につけることです。

アメリカ人である著者がほんの6年間(!)の日本滞在でこれほどまでに日本語と日本人を理解し、その深い理解に基づいて著された本書はまさに賞賛に値します。なにせ、私は20年以上もアメリカに住んでいるにも関わらず、未だにあやしい英語を操っていますから。

英文を書くことに関わる全ての日本人に読んでもらいたい一書です。

生と死の自然史 ― 進化を統べる酸素

多くの生命の生存にとって必要不可欠である一方、生体を攻撃し多大なダメージを与える「酸素」を切り口にして、地球上での生命進化論を解説したすぐれた科学読本です。

地球科学、考古学、生物学、遺伝学、化学、医学等々の驚くほど広範な学術分野の膨大な研究に基づいた、その広範にして深く切り込んだ解説を理解するにはかなりの集中力を持って読み進める必要があります。しかし、そこから得られる地球の歴史、生命進化の歴史、老化の秘密等々、得られる知識も膨大です。

その膨大な知識の中からごく一部を紹介しますと、例えば、老化したミトコンドリアから漏れ出る活性酸素がどれほど生体に取って危険であるか、またそれを防ごうとして必要以上のビタミンCやE、コエンザイムなどの抗酸化物は外部から大量摂取してもほとんど無意味である、さらに、日本人の平均余命が長いのは、高頻度でMt5178Aと言う呼ばれる変異型のミトコンドリア遺伝子を持つことから説明されるかもしれない、等々、どれも非常に興味深いものです。

また、著者の「生物は、自ら火星や金星のような不毛なものとなる運命から地球を救ったのである」と言う言葉は、多くの示唆に富んでいますし、最後で述べられる「幅広く多様なものを食べよ、しかして食べ過ぎるな、過度の清潔を避けよ」と言う言葉も、全編を読み終えた後に読むとその重要性がしっくりと心にしみこみます。

充実した索引、用語解説、参考文献、訳者注も本書の美点です。日本語訳もまずこなれており読みやすい部類に入ります。

地球の生命史を知りたいと思う人に、まとまった時間の取れる時に集中して読まれることをお勧めします。

雲はなぜ落ちてこないのか

深い洞察に基づいた含蓄ある科学読本

宇宙物理学者である佐藤文隆氏が、専門的な数式をいっさい使わずに科学の素晴らしさを幅広い観点からやさしく説いたすばらしい科学読本です。

タイトルだけを見ると「なぜ雲が落ちてこないのか」の説明に終始するような印象を受けますが、実は雲に絡んだ気象の話から始まり、身近なところでは色彩の話、水の話、地球の空、地球と生命の関係、地球環境、などの話題から、太陽、火星、宇宙、素粒子、等々の宇宙的な話題まで、実に幅広い科学分野に話はおよびます。これだけの幅広い分野に関するこの思索に富んだ話題をやさしく解説できる著者に脱帽です。

各々の話題において色々と学ぶところは多かったですが、特に「なぜ山頂は禿げてくるか?」の項では、生物の存在しない世界でなら山頂は自然と禿げてくるのであるが、生物の存在が山頂を禿げることから守っていると言う環境と生物との相互作用の重要さを知り、まさに目から鱗でした。

また、二酸化炭素排出などの人間の活動が地球温暖化に及ぼす影響を過大に取り上げすぎる風潮に対しても、科学者として非常に冷静な立場を取っています。

いづせにせよ、全編を通じて、日本の受験一辺倒教育が殺してきた、日常の一つ一つの現象に対して「なぜ?」「どうして?」と言う素朴な好奇心を持つことの重要さを再認識させてくれます。

日本の科学教育を著者のような人物を中心とした有識者組織に任せれば、現在の不毛な日本の科学教育も改善されると思うのは私だけでしょうか。

人を動かす – デール・カーネギー

珠玉の智慧に溢れた永遠の名著

何と深い智慧に溢れた本でしょうか。ここでは「知恵」では無く、敢えて「智慧」と言う言葉を使わせてください。

本書には、「人の立場に身を置き、人の熱意を呼び起こし、みずから動きだしたくなる気持ちを喚起し、そして真の友を得る」ための心にすべき不変の真実が記されています。著者であるデール・カーネギー氏自らの体験に基づいて培った真の智慧の説得力は絶大です。1937年の初版発行以来、世界中で読み継がれていることからも分かるように、この不変の真実は時の流れや一時の流行に左右されないのですね。

そして、本書は一回読んだだけで本棚に飾っておく本ではなく、まさに常に座右において何度も何度も読み返すべき書物であり、その智慧に基づいて実際に行動すべき行動規範書です。

転回期の科学を読む辞典 – 池内了

深い思索と人類の知的活動に対する透徹した観察

深い思索と、過去から現代に至る人類の知的活動に対する透徹した観察に基づき、「科学」を縦糸に、「人間社会」を横糸にして、混迷を深める現代社会をやさしく読み解き、未来への展望を示した良書です。その文章の端々から「科学」とそれを実践する「人間」に対する著者の限りない愛情を感じる点も本書の価値を高めています。

著者は自ら本書を「辞典」と銘打っていますがが、この「辞典」と言う表現は少々誤解を招くのではと思われます。おそらく『転回期の科学を読み解く』とした方がより良く本書の内容を表しているでしょう。もちろん著者が「あとがき」でも告白しているように、免疫学でノーベル賞を受賞したメダワーの著書『アリストテレスから動物園までー生物学の哲学辞典』を手本としていることから、「辞典」と銘打った著者の思い入れは理解できます。

本書には、「そのとおり!」と思わず膝を打ちたくなる主張が多々ありますが、その中でも3つほど例をここに挙げさせてください。

  • 科学研究において要素還元論的方法論がもたらしてきた絶大な効果と、その限界の指摘
  • 日本では往々にして「科学技術」と言う表現により、「科学」と「技術」をひとくくりにして表現する(したがってそのように認識する)ことがまかり通っているが、科学とは「発見の知」であり、「創造の知」である技術とは、目的も論理も全く違うと言うことを明確にしておくことの重要性
  • 自然の巧妙な造化を「驚き怪しむ(wonder)」心、それを「素晴らしい(wonderful)」と驚嘆することの重要性

そして私がもっとも深く同意したい点は、「科学とは、人間の持つ知への衝動から発するものなのであり、科学の価値とは、人間の文化をより厚くし、知的な冒険をはぐくむ精神的な熱意を支援し合うことにある。であればこそ、直接の物質的な利益を考えれば役に立たないかもしれないが、文化の側面においては欠くべからざるものと言える。そこに科学の価値を見出すべきなのだ」との著者の主張です。

著者は日本科学界の良心であり、本書は寺田寅彦や湯川秀樹の随筆集に匹敵する良書です。

生物と無生物のあいだ – 福岡 伸一

詩的才能に溢れた科学者による生命に対する賛歌

なんと詩的才能に溢れた科学者でしょうか。特にプロローグとエピローグの文章にその才能が溢れています。

そしてストーリーテラーとしても優れています。本文の文章も全て簡潔にして明快であり一気呵成に読んでしまいました。野口英世に対する相反する評価、DNA発見の裏に隠された真実、シュレーディンガーからシェーンハイマーに至る新たな生命像の誕生、そして彼自身の研究などが本当に情熱的に描かれて秀逸です。

本書で私が一番感銘を受けたのは次の点です。生命とは単なる自己複製機能を持ったシステムであるだけではなく、一見安定して秩序だっているように見える生体内の各組織の分子は絶えず消滅と生成を繰り返していると言う知見に基づいた「動的平衡」にあるのが生命であるとの観点です。この知見は本当に新鮮でした。しかし、これは実は1930年代にすでに提示されていたのです。全くの驚きです。そして「半年も会わなければ、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである」には思わず笑ってしまいました。

そして「私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである」

生命を論じた書物の中でもひときわ精彩を放つ素晴らしい一書です。一読することを強くおすすめします。

ただし、参考文献を引用してあれば本主題をより掘り下げて理解したい人の役に立ったであろうと思われる点だけが残念です。

フェルマーの最終定理 – サイモン・シン

「フェルマーの最終定理」を主題にした一大数学叙事詩

いやー、おもしろい!一気呵成に読みました。

過去350年間にわたって多くの数学者を悩ませてきた「フェルマーの最終定理」がいかなる紆余曲折の末に数学者ワイルズによって証明されたかを、これほど明快にかつ躍動感にあふれる筆致で書き下ろした著者であるサイモン・シンの筆力は素晴らしいの一言です。

ピュタゴラスに始まり、ユークリッド、オイラー、ガウス、ラッセル、ゲーデル、ガロア、そしてフェルマーの最終定理の証明に決定的役割を果たすことになる谷山・志村予想を提出した日本人数学者の谷山と志村などの数多の数学者の寄与に言及し、系統的な数学の歴史をフェルマーに絡めて再構築することにより、ある意味「フェルマーの最終定理」を主題にした一大数学叙事詩とも言えます。それはただ単に一数学者であるワイルズだけの話では収まりきれません。確かに「フェルマーの最終定理」を最終的に証明したのはワイルズですが、ワイルズが証明に成功する背景には、過去350年にわたってその牙城を攻略しようとしてきた数多の数学者の努力があったことも事実なのです。そのあたりのいきさつも全て微に入り細を穿って紹介されています。

ところで、訳者もあとがきで告白しているように、本書の始めの方で、数学に比べて自然科学は劣っていると繰り返し強調されている点には、私も訳者同様少なからず不満を持ったのですが、その不満も本書を読み進む内にきれいさっぱり雲散霧消しました。そんな不満など全く気にならないほどの素晴らしい物語となっています。さらに訳者同様、ワイルズが証明のギャップを埋めることに成功した場面には私も目頭が熱くなりました。

「フェルマーの最終定理」の証明の詳細そのものは残念ながら一般人の理解の及ぶところではありません。それこそ現在考え得る最高の数学のテクニックを駆使しえる人にのみ理解できるのです。それでも本書を読めば、巨大な知性をしてその人生の全てを費やせるほどの魅力が数学にあることを理解することはできます。

最後に、日本語訳も良くこなれており読みやすく好感が持てます。

ご冗談でしょう、ファインマンさん

1965年に量子電磁気学への貢献に対してノーベル物理学賞を受賞したファインマンの波瀾万丈の半生記、最後まで一気呵成に読んでしまいました。

いたずら好き、実験好き、何でも自分でやってみないと気が済まない性格。ファインマンは少年時代からそのずば抜けた才気煥発さを遺憾なく発揮しています。MITやプリンストンでの蒼々たる学者連中との交友、ロスアラモスでは原爆開発研究に携わりながらも金庫破りの腕を磨いたり、徴兵検査で画一的な対応をする精神科医を手玉に取ったり、と読んでいてあっぱれという気持ちになってきます。

するどい着眼点で物事の本質を見切り、それを表現するために自分流の記号を作り出してしまうあたりは、後に素粒子の相互作用を視覚的かつ直感的に理解できるファインマン・ダイアグラムを編み出していくことになるファインマンの面目躍如たるところですね。