Archive for the ‘日記’ Category.

日経BPネットの森永 卓郎氏のコラム『「日本は没落した」はハゲタカの言葉』へのコメント

私は1988年以降アメリカはシリコンバレーに在住していますが、実際にシリコンバレーで生活していると実生活感覚的に現在1ドル70円が妥当ではないかと思います。

もっとも極端なガソリンを例に挙げれば、私が渡米した20年前、米国のガソリンは1ガロン当たり約1ドル、それが20年後の今では約3.5ドルです。つまり20年で3.5倍になっているのです。一方、同じ期間の日本のガソリン価格の増加率はたったの約1.5倍ですね。これはもっとも極端な例であり、石油会社の思惑や価格設定が大きく左右していますが、それ以外にもアパート代は20年前の2倍強、不動産価格にいたっては優に3倍強に跳ね上がっています。外食費用も約2倍強ですね。

という訳で、私も手持ち資金さえあれば相当な割安感のある日本企業(技術的に世界を先導している企業)の株を買うことでしょう。

紅麹エキス入り緑茶飲用開始

さあ、私のLDLコレステロール値は下がるのか?初めて自分自身を実験台にします。

あらまほしきは

やはり何事においても「臨機応変」「当意即妙」。この二つを我が物にしたいものです。

祇園「丸山」のオーナー夫妻とばったり

京都駅ビル11階のレストラン街で夕食を終えてホテルに帰ろうとしていた時、二日前に夕食をご馳走になった祇園「丸山」のオーナー夫妻とばったり出会いました。先日の御礼と共にご挨拶させていただきました。お二人ともさすがの着物の着こなしであられました。

和の美

祇園「丸山」で懐石を食しました。まさに日本の美どすな。美味しゅうございました。

「メタボリックシンドローム」の由来

日経BPセカンドステージで河合勝幸氏が執筆している明るい糖尿病ライフのページに「メタボリックシンドローム」の由来が説明されていました。以下に引用しておきます。

1920年代に心血管障害(心筋梗塞や脳卒中などの動脈硬化性の病気)のリスクとして、高血圧や高血糖、高尿酸血症などの一群の症状(シンドローム)があることが報告されていました。1960年代にこれらの症候群に肥満と高脂血症が加えられ、1988年にジェラルド・M・リーベン(Gerald M. Reaven: スタンフォード大学)がこの症候群は基本的にインスリン抵抗性(インスリンが効果的に作用しない)があると説明がつくとして、「シンドローム・X(エックス)」とネーミングしました。-河合勝幸-

参考文献:Reaven GM. Banting lecture 1988. Role of insulin resistance in human disease. Diabetes 1988;37:1595-607. PMID 3056758.

科学は技術ではない

日本人は往々にして「科学=技術」の様に科学と技術を混同したり、「科学技術」の様に科学と技術を一体化させてしまうという誤謬を犯しています。 一方、英米人は「science and technology」と言う表現をよく使いますが、この場合「science」と「technology」とは「and」で峻別されています。決して「science technology」と言う表現は使いません。 科学とは「自然が内包する真理を紐解いて人間が理解できる言葉で法則として書き記した知的活動」であり、技術とは「科学法則(あるいは経験則)に基づいて人間が能動的に現実の世界に作用しうる手段」です。

私はこのように「科学」と「技術」を明確に定義しそれを教育の初期段階において皆で共有することを提案します。例えば小学校から繰り返し徹底してこの概念を教えるべきです。 この定義に従えば、自然の真理を単に記述している科学に対して「善」である、あるいは「悪」であると表現することにはそもそも意味がありません。 一方、技術というものは「人間が能動的に現実の世界に作用しうる手段」ですから、それが害を及ぼすものであれば「悪」と言えますし、益を及ぼすものであれば「善」と言えます。 分かりやすい実例としては、アインシュタインが自然の真理を紐解いて導き出した「E=mc^2」と言うエネルギーと質量の等価法則自体は「善」でも「悪」でも無いが、その法則を現実の世界で実用化した「原子爆弾」は「悪」であり、「原子力発電」は「善」であると言うことがあげられます。この実例なら皆さんも私の意図するところがよく分かっていただけると思います。ただし、この「善」と「悪」の判断はあくまでも倫理的で相対的なものであって、絶対的なものでないことは認識しておくべきです。

そもそも何故このような話をしたのかと言うと、日本では特に基礎科学研究に対して「そんな役に立つかどうか分からない研究をしても意味がない、税金の無駄遣いだ」などの批判をよく聞きますが、それに対して異を唱えたいのです。つまり「科学」と言う知的活動自体に意味があり、科学者は堂々と「我々は自然が内包する真理を紐解いて人間が理解できる言葉で法則として書き記す努力をしています。この努力から得られる自然の真理に対する知見に基づいた技術が、将来益を生み出すかどうかはひとえに技術者達の努力にかかっています。この事実を理解した上で我々科学者の努力に賛同してくださる方、ご支援をよろしくお願いします」の述べればよいのです。それに人々が賛同できないなら残念ながら科学活動は不可能です。

誤解を恐れずに言えば、科学者のみが自然が内包する真理を紐解く事ができるのです。否、より正確に言えば、自然が内包する真理を紐解く事のできる人はすべからく科学者です。

日本では風邪をひきやすいか

2006年12月23日から2007年1月3日まで年末年始の日本に行ってきました。今回の日本行きでふと思ったのですが、公共交通機関の利用の多さなどからも分かるように、日本ではアメリカよりも人混みに出る機会が多いので、それだけ風邪のウイルスに接触する機会も多くなるように感じました。風邪の季節の日本滞在中は、外出先から帰ったら手洗いとうがいの励行がことさらながらに重要だと実感した次第です。また、電車や建物内での気温と外気温の格差も免疫機能を低下させ風邪をひきやすくなる要因になっています。以上の事実を考慮すると、日本での風邪の発生率はカリフォルニアでのそれよりも高いのではと思われます。そのような疫学的研究は見たことがありませんが、面白いのではないでしょうか。

知識と知恵(と智慧)

今の日本の教育で一番欠けている事は、如何にして全人的な知恵をつけるかに対する指導です。今の日本の教育では、まず知識が最も重要視され知恵は二の次となっています。誤解を恐れずに極論すると、記憶力の良さのみが判定基準となっています。この問題を解決するには、

  • その様な指導の出来る指導者を養成する
  • 大学入試基準を記憶力偏重から知恵の判定へ改善する

の二つを早期に実行する必要があります。では、具体的にどうすればよいかに関しては、また日を改めて議論したいと思います。さらに「知恵」を上回る「智慧」を身につければ言うこと無しなのですが。

日本とカリフォルニア

8月7日から14日までの今回の日本滞在では直前のロンドンのテロ発覚事件の影響で成田空港では厳しい出国検査を受けましたが、特に何事もなく無事帰米しました。今回は本当に蒸し暑い日本の真夏を堪能しました。特に13日にお墓参りに行った京都嵯峨野では、朝10時前にもかかわらず日陰でじっとしていても汗が噴き出すくらい暑い最中、濃い緑に色づいたカエデの木とセミの大合唱に囲まれ「これぞまさに日本の夏」をしみじみと噛みしめながら過ごしました。カリフォルニアの1年中爽やかな気候にどっぷりと浸かってしまっている今となっては日本にはもう住めないなと思っていましたが、京都のこの緑と自然豊かな嵯峨野には、住んでも良いかなと思わせてくれる特別な何かがあります。日本人だけが感じられる何かだと思いますがそれが何かとははっきりとは言えません。カリフォルニアでは経験できない真夏のセミの合唱でしょうか。否、それだけではないはずです。やはり、嵯峨野の豊かな緑、自然、セミの合唱、それから吹き出る汗、これらが渾然一体となったところに何か特別な感傷的な感覚があるのでしょう。これは大阪や東京の大都会では一度も感じたことが無い感覚です。