Posts tagged ‘科学’

『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル ブライソン

私がこれまでの人生で出会った書物の中でも最高峰の一冊です。今ここに生きていることの意義をここまで強烈に再認識させてくれる書物にはそうそう出会うことはないでしょう。それほどの感銘を受けました。すばらしいの一言です。

本書は、索引・参考文献も含めれば700ページにも達しようかという大著です。そしてその内容も広範かつ深遠です。物理学、化学、生物学、医学、天文学、惑星科学、地質学、考古学など、およそ科学と呼べる広範な学術分野を網羅的に俯瞰するとともに、宇宙の歴史、地球の歴史、そして地球上での生命誕生から知性を持った人類が生まれるまでの生命の歴史の解説に対して、著者の筆はさえわたります。各分野の黎明期から発展期、そして現在に至るまでの出来事、そしてそれらを切り開いた先人の苦闘の歴史を、各人の人格や背景にまで踏み込んで解説しています。中には少しばかり冗長な箇所もありますが、そのような小さな欠点など忘れさせてくれるくらいの力を持った著書です。

著者が最後に述べているように、地球上のすべての生命は、それこそ無限とも思える途方もない幸運の積み重ねの結果、今ここに生きているのです。そもそも、なんらかの生命体としてこの宇宙に生まれてくることすら容易でない状況において、ここまでの知性を持つに至った人類はさらに幸運なのです。それに加えて、人類は生を享受し、さまざまな方法でその生をいっそう豊かにできるという比類のない能力をも得ることができたのです。この事実を人間はひとりひとり心に刻み込むべきでしょう。そうすれば、この世界は必ずやより良い世界になると、私は信じています。

参考文献も非常に充実しており、さらに詳しく学びたい人の道しるべにもなります。

翻訳も非常によくこなれており、訳者の力量がうかがえます。

科学とは

「科学」とは、「知的生命体が、宇宙を網羅的に理解しようとする知的活動」です。それ故、「科学」は地球上の人類に限定されるものではなく、この全宇宙に存在するであろうあらゆる知的生命体が宇宙を理解しようとする知的活動のすべてに当てはまる全宇宙に普遍的なものです。

この「科学」という営みを行う「知的生命体」は、奇跡のような偶然に偶然が重なってこの宇宙に生まれました。その一つがたまたまこの地球上に生まれた人類です。

その森厳なる事実を前に、私はなんとも厳かな心持ちになります。

そして、「技術」とは、知的生命体が「宇宙」とやりとりする際のインターフェースであり、科学的知見を基に知的生命体によって構築されたものです。このインターフェース無くして知的生命体は「宇宙」とやりとりはできません。

さて、このように「科学」と「技術」の定義をはっきりさせれば知的生命体にとって「科学」と「技術」とは全く別次元の体系であることがわかります、(もちろん「科学」と「技術」とは糾える縄の如しの関係にあるのですが)。この理解に則れば、「科学」と「技術」の両者を表す意味での「科学技術」などと言うことはできません。「科学技術」という表現を使うならそれは「科学に基づいた技術」という意味でのみ使い得るのであって、「科学と技術」を意味するために使うことはできません。しかし、この「科学に基づいた技術」は私の定義からすると同語反復で冗長ですので、「技術」と表現するだけで十分です。

しかし、残念ながら日本では「科学」と「技術」を一絡げ(ひとからげ)にした「科学技術」という表現がまかり通っています。そして、本来、知的生命体の純粋な知的活動である「科学」が、「技術」と一絡げにされ悪役にされることを多くの場面で目の当たりにします。私はそれがどうしても許せません。それ故、私は「科学」と「技術」を峻別し、「科学」と「技術」に言及する際には「科学技術」ではなく「科学と技術」という表現を使うことを提言したい。

本田宗一郎の言葉

2009年12月22日付けの産経新聞に掲載された『次代への名言』の中で、以下のような本田宗一郎の言葉が紹介されています。

「技術そのものより、思想が大切だ。思想を具現化するための手段として技術があり、また、よき技術のないところからは、よき思想も生まれない」

ここで直ぐに思いついたことが、「思想」を「科学」に置きかえることです。

「技術そのものより、科学が大切だ。科学を具現化するための手段として技術があり、また、よき技術のないところからは、よき科学も生まれない」

良い言葉です。

ちなみに、カリフォルニア州在住の私は日本の新聞を手にとって読む事は適いませんが、iPhoneのおかげで産経新聞を読む事ができます。

科学的全人医療システムの構築 – Version 1.0 –

要約
統計処理データに重きを置き、分散技術化してしまった現代医学およびその臨床実践の場である医療を、もう一度科学の原点から生命を見直すことにより、

  1. 何人にとっても安心立命を得られる医療の実現
  2. 科学的データに基づいた真の個人最適化医療の実現
  3. 健康を維持出来る全人医療の実現

を目指す。

背景
単一要因による急性期疾患に対しては絶大な効果を発揮した西洋医学であるが、ガン・循環器疾患・糖尿病などのいわば複合要因の複雑に絡み合った非急性期疾患治療に対しては大きな壁にぶつかっている。それを打破するには、現象を観察してそれに対処すると言うこれまでに医学が取ってきた方法論ではなく、現象の背後に潜む法則を看破し、その法則から演繹される予測を実験で確認するという科学的方法論を医学、そしてそれの臨床実践である医療の世界に持ち込む必要がある。
その際に重要になるのが、人間は、

  1. 非線形(non-linear)の複雑系(complex system)である
  2. 外界と常に相互作用を持ちながらも高度に秩序立ち恒常性を持った自立系である
  3. 各個人は遺伝的・生理活性的に独自のシステムであ

という認識である。このように生体は外界との相互作用を持つ開かれた非線形の複雑系であることから、限られた特定の単一因子遺伝子疾患や感染症などを除いて、複数の内的・外的要因が非線形的に複雑に絡み合い、相互に関連した複数の非線形生理活性反応の結果、種々の症状となって顕在化するのである。この認識に立てば、現在多くの薬や治療法が担っている単一の因子を抑制したり促進させたりする要素還元論的方法論(reductionism)に限界があることは自明である。さらには、各個々人の遺伝的背景および生理活性反応がバラエティに富んでいると言う事実からも、そのような単純な方法論には限界があることは想像に難くない。

一方、現在、新薬・新規治療法認可当局(日本の厚生労働省、アメリカのFood and Drug Administrationなど)が、新薬(新規治療法)候補に対して要求している、既存薬(既存治療法)に対する統計的優位性を示すデータに基づく認可システムでは、統計処理された大規模臨床試験データのみを判断材料としているために、本来なら生体の科学的理解にとって根源的重要性を持っている個々人の薬物(治療法)反応データが利用されていない。莫大な資金($100M超)を投入して新薬開発とその有効性を確かめる大規模臨床試験を行っているにも関わらず、認可の目的のために統計処理したデータのみを活用しているのは、ただ単に無駄であるだけでなく貴重な資源を捨て去っていると言う点で人類に対する罪悪でもある。個々人のデータにこそ宝が眠っているのである。ある薬剤を投与した(治療法を施した)際に、個々人の体が総体としていかに反応するかを詳細に調べ、そこに因果関係および法則性を見い出し、根本機序を解明することが真の科学としての医学の発展に繋がるのである。そのためにも、資本主義市場原理に則って行われている現在の認可のみを目標とした企業、およびその影響下にある開発者の姿勢を改めることが急務であると共に、認可当局にも働きかけこの様な非科学的閉塞状況を打開していく必要がある。

この様な現在の新薬・新規治療法認可プロセスに支配されざるを得ない医療環境下においては、現在のEvidence Based Medicine (EMB)は、厳密な科学的観点からするとあくまでも「統計処理されたデータに基づいた医療」であり、決して「科学的証拠に基づいた医療:Scientific Evidence Based Medicine (SEBM)」では無い。真のSEBMでは、各個々人の遺伝 (genetic)、生理活性 (physiological)、生活習慣 (lifestyle) データに基づき、どの薬あるいは治療法がどのような効果をもたらすかを予め予測し、それに従って最適の投薬あるいは治療を施す事が可能になる。

最後に、現在行われている医療はそのほとんどが実質「病気になったら治療する」と言う後手後手のsick careである。今世紀以降、全世界的に否が応でも進む高齢化社会において、このような後手後手のsick careでは医療費の高騰はされられない。この問題を根本から解決するには、個々の薬や治療法を開発すること以上に、「健康状態を維持し、そもそも病気に罹らないようにする」と言う積極的な真のhealth careを確立することが必要である(From sick care to real health care)。

以下では、科学の原点から生命を見直すことにより、この真のhealth careをいかに確立していけばよいかの提案をする。

科学的全人医療システム
科学的全人医療システムとは、「健康状態を最大限維持するために、定期的健康モニターを行い、健康状態からの逸脱が見つかればそれを直ちに発見し、各個々人の体内で生起する現象を総合的に記述するモデルから得られる科学的データに基づきその逸脱を修復する」事を目指す医療システムである。

では現実的にどうすればそのような科学的全人医療システムを実現できるのか?
その実現のために以下の3つの柱を提案する。

  1. Life Simulation – For effective drug development and therapeutic research for individuals
  2. Health Monitoring – For early detection of abnormality based on the concept of disease prevention – From sick care to real health care
  3. Comprehensive Biomedical Database for Individuals – For the backbone of Life Simulation and Health Monitoring

以下では、これら3つの柱を個別に説明する。

  1. Life Simulation
    非線形(non-linear)の複雑系(complex system)と言う生体の持つ特徴から、人間を要素還元論的方法論で記述し尽くすことは、例え原理的に可能であったとしても、有限の能力しか持ち得ない人間には現実的には不可能である。つまり生体内で生起する全ての現象を総合的に記述する方程式が例え得られたと仮定しても、それを解析的に解くことは現実的に不可能である。これは物理学における3体問題ですら、解析的に解き得ないことからも簡単に想像がつく。物理学ではこの3体問題の解を数値計算あるいはsimulationによって得ている。一般化して説明すると、生物学を除く科学や工学の世界では、資金・設備・安全面などから来る制限により実験が困難な場合や、方程式が解析的に解けない場合、理論やモデルの正当性を評価するためにcomputer simulationによって実験を模擬することが日常的に行われている。さて現在、薬物動態や薬の効果・副作用などの外部擾乱因子の生体内(in vivo)における反応の確認は、動物実験とそれに引き続く人間に対する臨床試験に大きく依存しているが、そこには以下のような明らかな限界が2つある。

    • 動物と人間とは違う。どれだけ動物で実験しても人間への外挿には限界がある。
    • 同じ人間であっても個々人は違う。大規模臨床試験ではせっかく得られた個々人のデータを統計処理してしまい、本当に重要な個々人のデータを捨ててしまっている。つまり本来は価値ある個々人のデータを得ているのに、それを統計処理で希釈し、本来データが持つ個々人の豊富な情報量を捨ててしまっている。

    この2つの問題を同時に解決しえる候補技術の一つが、外部擾乱因子に対して生体中の反応を総合的にシミュレーションするLife Simulationである。Life Simulationの目的は、外部擾乱因子に対して生体中の反応を総合的にシミュレーションすることにより、種々の外部擾乱因子に対して総体としての生体がどのように反応するかを計時的に見ることである。このLife Simulationは、使用されるsimulation parametersを各個々人に対して最適化することにより、personalized medicineの実現に寄与し得る。そのシミュレーションを完成させる途上で、人の全遺伝子や遺伝子発現状態の安価で簡便な測定法の開発に加えて、相当の動物実験と最低限の臨床試験が必要不可欠である。動物実験によってLife Simulationの基盤部分の精密化を図り、それを臨床試験時に得られた個々人の反応データ(後述のComprehensive Biomedical Database for Individualsを参照)をインプットとし、各個人のsimulation parametersを最適化していく。

    以上により、各個々人が自分自身に最適化されたsimulation parametersを持つLife Simulationシステムが提供される。それにより、治療や投薬が必要になった場合に、まずシミュレーションにより最適の治療法や薬を見つけ、その情報に基づいて治療法や投薬を施す事が可能となる。

  2. Health Monitoring
    各個々人の健康状態を定期的にモニターし、もしその人のBiomedical Databaseに記録されている定常状態からはずれた状態が観測された場合にすぐに警告を発し、同時に何が問題かも指摘するモニター・警告システム。

    生命という物は有る程度の擾乱があっても定常状態を保つホメオスタシスを持っている。それは単純化すれば、通常生体というのは健康ポテンシャル(補遺参照)の最小値(安定値)にあることを意味している。逆に非健康状態と言うのは、その人の状態が健康ポテンシャルの最小値からずれている、あるいは、ポテンシャルの形が異常になっているかのどちらかと考えられる。そこで、この健康ポテンシャルを現在我々が知りうるあらゆる生体情報(遺伝情報、生理活性情報、食生活、環境など)をインプットにして定義し、それらの定期的モニターに基づき、もし定常状態からなんらかの逸脱があればその原因を自動的に解析し、結果を本人および掛かり付け医に自動的に知らせる。それにより、病気を未然に察知し、病気という状態になる前に修正する。これを現在の薬の認可で使われている統計処理によるのではなく、各個人個人で最適のモニターシステムを提供する。

    モニターシステムは極力非侵襲的技術を利用する。また、必要な非侵襲的モニター技術開発を医療機器メーカーと共同で行うことも考える。非侵襲的モニターを利用することにより、当人が医療施設に行かずともモニターする事が可能になる。これはモニターシステムの普及のために非常に重要である。

  3. Comprehensive Biomedical Database for Individuals
    上で説明したLife SimulationとHealth Monitoringを実現するためには、各個々人の生体情報データベース(遺伝情報、生理活性情報、代謝情報、食生活、環境など)および、疾病情報データベース(疾病に関わる遺伝情報および各種マーカー情報)を含む総合的Biomedical Database構築が必要である。

    これらのデータベースの構築するために、臨床試験あるいは治療の現場において、当該人の許可の下、予め定義した生態情報と疾病情報を取得するシステムを構築する。

    さらに、得られた情報に基づき、各種疾病、症状、反応、投薬情報、治療情報などのparameter間の相関関係を網羅的に自動抽出するアルゴリズムを開発し、その結果得られた相関関係を持つparameter間の背後に潜む機序の解明の一助とする。医学研究者、アルゴリズム開発者などとの共同研究を考慮する。ただし、産業に誘導されている研究者に主導権を握らせるのではなく、あくまでも当方が主導権を握る。

以上3つの柱を統合することにより科学的全人医療システムの構築を目指す。

Science for All Americans: Project 2061

The American Association for the Advancement of Science(アメリカ科学振興協会:Science誌の発行元でもあります)発行の「Science for All Americans」は、普遍的に科学教育の重要性を謳っているすばらしい文書です。その英語も格調高く素晴らしい。

その中から心に留めるべき言葉を以下で抜粋してみます。

Science, energetically pursued, can provide humanity with the knowledge of the biophysical environment and of social behavior needed to develop effective solutions to its global and local problems; without that knowledge, progress toward a safe world will be unnecessarily handicapped. … science fosters the kind of intelligent respect for nature that should inform decisions on the uses of technology … [Reference: Science for All Americans]

特にこの最後のセンテンスの「科学は、自然に対する知性に裏打ちされた畏敬の念を育み、技術をいかに使うべきかという指針を与える」はまさにその通りで、全人類が心すべき認識です。日本では「科学技術」と言うように科学と技術を一体とみなす考え方が、教育者や国の方針を決める人たちの間でもまかり通っていますが、それが大きな混乱の元凶の一つとなっています。「科学」と「技術」は峻別すべし。

実は私が立ち上げたScience and Humanity Innovation Centerの名前は、この文書から受けた感動が原点になっています。

転回期の科学を読む辞典 – 池内了

深い思索と人類の知的活動に対する透徹した観察

深い思索と、過去から現代に至る人類の知的活動に対する透徹した観察に基づき、「科学」を縦糸に、「人間社会」を横糸にして、混迷を深める現代社会をやさしく読み解き、未来への展望を示した良書です。その文章の端々から「科学」とそれを実践する「人間」に対する著者の限りない愛情を感じる点も本書の価値を高めています。

著者は自ら本書を「辞典」と銘打っていますがが、この「辞典」と言う表現は少々誤解を招くのではと思われます。おそらく『転回期の科学を読み解く』とした方がより良く本書の内容を表しているでしょう。もちろん著者が「あとがき」でも告白しているように、免疫学でノーベル賞を受賞したメダワーの著書『アリストテレスから動物園までー生物学の哲学辞典』を手本としていることから、「辞典」と銘打った著者の思い入れは理解できます。

本書には、「そのとおり!」と思わず膝を打ちたくなる主張が多々ありますが、その中でも3つほど例をここに挙げさせてください。

  • 科学研究において要素還元論的方法論がもたらしてきた絶大な効果と、その限界の指摘
  • 日本では往々にして「科学技術」と言う表現により、「科学」と「技術」をひとくくりにして表現する(したがってそのように認識する)ことがまかり通っているが、科学とは「発見の知」であり、「創造の知」である技術とは、目的も論理も全く違うと言うことを明確にしておくことの重要性
  • 自然の巧妙な造化を「驚き怪しむ(wonder)」心、それを「素晴らしい(wonderful)」と驚嘆することの重要性

そして私がもっとも深く同意したい点は、「科学とは、人間の持つ知への衝動から発するものなのであり、科学の価値とは、人間の文化をより厚くし、知的な冒険をはぐくむ精神的な熱意を支援し合うことにある。であればこそ、直接の物質的な利益を考えれば役に立たないかもしれないが、文化の側面においては欠くべからざるものと言える。そこに科学の価値を見出すべきなのだ」との著者の主張です。

著者は日本科学界の良心であり、本書は寺田寅彦や湯川秀樹の随筆集に匹敵する良書です。